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かつては「歴史」ある、一つの「国」でした(1)・・・パート6

続いてです。茨城県は、歴史のある、以前は、「常陸国」と呼ばれていました。常陸国は、かつては、「下総国」に一部でした。というこで、続いては、「下総国」について書きたいと思います。

●下総国について

下総国(しもうさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、領域は現在の千葉県北部、埼玉県の東辺、東京都の東辺、(隅田川の東岸)、茨城県南西部にまたがる。総州(そうしゅう)とも呼ばれた(特に下総のみを指して北総(ほくそう)と呼ばれることもある)。 『延喜式』での格は大国、遠国。

Japan prov map shimosa
◆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japan_prov_map_shimosa.png

●概要

現在の千葉県北部を主たる領域とする旧国名。北で常陸国と下野国、西で上野国と武蔵国、南で上総国、内海を挟んで相模国と接する。よき麻の生いたる土地というところより総国と称したという(『古語拾遺』)。総国の北部にあたり、7世紀に捄国(ふさのくに・総国)の分割によって建てられたとも言われている。下総は、古くは「之毛豆不佐(しもつふさ)」と呼び、これが(しもふさ)(しもうさ)に転じた。この下総国のほかにも、国の名前に「上」「下」や「前」「後」と付くものがいくつかあるが、いずれも畿内――より正しくは、首都・都――に近いほうが「上」「前」となっていて上総国と下総国は一見逆転しているように思われがちであるが、元々東海道は、海つ道(海路)であり、房総半島の南部の上総国の方が畿内により近い位置関係にあった。

実際、上総と下総はよく間違われることが多い。『香取慎吾の特上!天声慎吾』では、銚子市や旭市のロケで、千葉県観光協会の事務局長が出演し、千葉県出身の渡辺正行がナレーションをしていたにもかかわらず2週にわたり「上総」と放送し、上総の歌までつくった。

●沿革

大化の改新以前には印波、千葉、下海上の国々があり国造が置かれた。645年後の律令国家建設にともなって東海道に属する一国となり、葛飾、千葉、印旛、匝瑳、相馬、猿島、結城、岡田(のち豊田)、海上、香取、埴生の11郡をもって下総国とした。国府は市川市国府台付近に置かれ国級は大国に位置づけられた。

古代末期から中世にかけて千葉氏が台頭し源頼朝を支援して鎌倉幕府創設に尽力した。鎌倉・室町時代と守護の地位を確保し中世には千葉氏の歴代当主が下総の守護と権介を兼ねるようになり、特別な敬意を込めて千葉介(ちばのすけ、「千葉郡を領する(権)介」)と呼称された。15世紀前半の永享の乱やその他の関東の動きのなかで千葉氏は内紛を展開、次第に衰えた。かわって下総生実城に寄った小弓御所足利義明が勢威をふるい小田原の北条氏と対抗した。1538年(天文7)と1548年(天文17)の国府台合戦においてはじめに足利義明が敗死、また安房の里見氏が敗北したことは、小田原の北条氏の強い影響を受けることになり、千葉氏やその家臣で主家をしのぐといわれた原氏、また高城氏らが従属下に置かれるようになった。1590年(天文18)豊臣秀吉の来攻に北条氏は屈服したが千葉氏はこれと運命をともにした。

徳川家康の関東入府直後には下総は万石以上の11氏が配置された。江戸時代には佐倉、関宿、多古、小見川、高岡、古河、結城の8藩と幕府領、旗本領が置かれた。その村数は約1620ヵ村(天保期)を数えた。近世初期(1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年 - 1643年)に、下総の葛飾郡から利根川(現在の江戸川下流)以西の地域を割き、武蔵国の葛飾郡(現在は東京都・埼玉県に属する部分)とした。

1868年(明治2)従来の八藩のほかに、曾我野藩があらたにおかれた。そして、この地の幕府領、旗本領には下総知県事(佐々武直武のち水筑龍)の管理におかれ、葛飾県がおかれ水筑龍が権知事となり13600石余を支配した。1872年(明治4)廃藩置県によって各藩は県に改変、同年11月、印旛県の成立に伴い編入された。明治6年には木更津県と合併し千葉県の管轄地に編入された。

●地域

★古代-中世

★郡と荘園

カッコ内には補足(他の呼称・管理者・成立年等)を記述する。

・①葛飾郡
 ・風早郷、松戸荘、矢木郷、国分郷(国分寺領)、八幡荘(不明)、夏見御厨 (伊勢神宮・1138年 - )、下河邊荘 (八条院・1186年 - )、下河邊野方荘、大島郷、葛西御厨、葛西猿俣荘

・②相馬郡(全6郷)
 ・相馬御厨(伊勢神宮・1130年 - )

・③千葉郡
 ・萓田郷・神保郷(後に萓田神保御厨となる)、吉橋郷、千葉荘、白井荘(延暦寺・1186年 - )、菊田荘、武石郷

・④印旛郡
 ・印西条、平塚郷、臼井郷 (臼井荘1331)、印東荘 (成就寺(仁和寺成就院ヵ・1186年(1155年以前より荘園)

・⑤埴生郡
 ・埴生西条、富谷郷、河栗郷、遠山方御厨(伊勢神宮・1249年)、埴生荘園(不明・1197年)

・⑥香取郡
 ・大須賀郷(大須賀保・1271年)、香取社領(摂関家)、大戸荘(摂関家・1186年)、神埼荘(1186年)

・⑦海上郡
 ・小見荘、三崎荘(海上荘)(九条家・1186年、橘(東)荘(二位大納言家・1186年)、松沢荘(不明・1197年)・木内荘(二位大納言家・1186年)

・⑧匝瑳郡
 ・匝瑳北条荘(不明・1197年)、匝瑳南条荘(熊野山・1186年)、千田荘(本家皇嘉門院、領家藤原親政1180年)、玉造荘(園城寺・1186年)、飯塚荘(不明・1254年)

・⑨結城郡
・⑩猿島郡
・⑪豊田郡
・⑫岡田郡(豊田郡が分割成立)

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◆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Shimousa_no_kuni-gray.gif
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%B7%8F%E5%9B%BD

★中世-近世

★下総国の藩

・小篠藩
・蘆戸藩
・小南藩
・上代藩
・小見川藩
・矢作藩
・多古藩
・大須賀藩
・高岡藩
・生実藩
・曾我野藩
・岩富藩

・佐倉藩
・臼井藩
・栗原藩
・山崎藩
・関宿藩
・布川藩
・井野藩
・守谷藩
・大輪藩
・山川藩
・結城藩
・古河藩

★郡と村

★近代-

★郡と村

・葛飾郡
・相馬郡
・千葉郡
・印旛郡
・埴生郡
・香取郡

・海上郡
・匝瑳郡
・結城郡
・猿島郡
・豊田郡
・岡田郡

★石高

・681,062

★人口

・1721年(享保6年) - 54万2661人
・1750年(寛延3年) - 56万5614人
・1756年(宝暦6年) - 48万3526人
・1786年(天明6年) - 46万8413人
・1792年(寛政4年) - 46万4641人
・1798年(寛政10年)- 48万4641人
・1804年(文化元年)- 47万8721人
・1822年(文政5年) - 41万9106人
・1828年(文政11年)- 49万7758人
・1834年(天保5年) - 40万2093人
・1840年(天保11年)- 49万9507人
・1846年(弘化3年) - 52万5041人
・1872年(明治5年) - 64万5029人

出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林。

●施設

★律令時代の施設

国府

国府は現在の千葉県市川市の国府台にあったとされ、国府関連施設と思われる遺跡が発掘されている。

国分寺

国分寺は千葉県市川市国分にあった。その法燈を市川市国分の国分山国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は未詳である。安国寺は茨城県古河市にあったと伝えられるが廃寺である。利生塔は千葉県大栄町(現・成田市)吉岡の雲富山大慈恩寺(本尊:釈迦如来)がその法燈を受け継ぐ。

★延喜式内社

『延喜式神名帳』には以下の大社1座1社、小社10座10社の計11座11社が記載されている。一宮は香取神宮である。二宮は二宮神社(千葉県船橋市三山)、海上郡の玉崎神社(千葉県旭市飯岡)などが論社とされるが、一宮香取神宮の力が非常に大きいため、二宮以下は実質的には存在しなかったという説もある。

一宮

香取郡 香取神宮(千葉県香取市香取) 名神大社

二宮

千葉郡 寒川神社(論社は下記の2社) 小社
二宮神社(千葉県船橋市三山)
寒川神社(千葉市中央区寒川町)

三宮ほか

千葉郡 蘇賀比咩神社(現 蘇我比咩神社、千葉市中央区蘇我町) 小社
匝瑳郡 老尾神社(千葉県匝瑳市生尾) 小社
印播郡 麻賀多神社(千葉県成田市台方) 小社
結城郡 高椅神社(栃木県小山市高椅) 小社
結城郡 健田神社(現 健田須賀神社、茨城県結城市結城) 小社
岡田郡 桑原神社(茨城県常総市国生) 小社
葛飾郡 茂侶神社(千葉県流山市三輪野山・吉川市三輪野江・松戸市小金原・船橋市東船橋に論社4社) 小社
葛飾郡 意富比神社(千葉県船橋市宮本) 小社
相馬郡 蛟?神社(現 蛟罔神社、茨城県北相馬郡利根町立木) 小社

総社

総社は六所神社(千葉県市川市須和田)である。元は同市国府台の国府跡近くにあったが、旧陸軍の駐屯により現在地に遷座した。

★湊・津
太字は主要なもの

内海

船橋湊
検見川湊
曽我野湊
登戸湊
寒川湊

外海

飯沼湊 

利根川・香取海

垣根津
野尻津
森戸津
笹本津
今泉津
石出津
笹川津
小見川津
側高津
篠原津
井戸庭津
佐原津
関戸津
岩ヶ崎津
神崎津 

★駅

井上駅(千葉県市川市市川付近)馬10頭・・律令時代の駅
浮嶋駅(千葉市花見川区幕張町付近)馬5頭
河曲駅(千葉市中央区中央・本千葉付近)馬5頭・・律令時代の駅
茜津駅(柏市北柏・松戸・我孫子市船戸付近)馬10頭・・律令時代の駅
於賦駅(我孫子市新木・布佐付近)馬10頭・・律令時代の駅
鳥取駅(佐倉市神戸・宮本付近)805年に廃止。・・律令時代の駅
山方駅(成田市郷部付近)805年に廃止。・・律令時代の駅
真敷駅(成田市南敷・乗馬里付近)805年に廃止。・・律令時代の駅
荒海駅(成田市荒海・磯部付近)805年に廃止。・・律令時代の駅

★馬牧

諸国牧(飛鳥時代)

 高津馬牧(八千代市高津を中心とした一帯又は多古町高津付近とする説もある)
 大結馬牧(船橋市夏見付近一帯又は茨城県水海道市大生郷町から石下町古間木一帯とする説もある)
 浮島牛牧(千葉市花見川区幕張一帯又は東京都墨田区浮島一帯とする説もある)
 木島牧
 長洲牧

江戸幕府直轄牧馬
 
 小金牧
 佐倉牧

★城館

千葉県の城一覧#下総国

●人物

★国司

★下総守

・下総国司等一覧

http://www14.plala.or.jp/nikorobin/siryou.html
・橘佐臣 従五位下
・橘仲任 従五位下
・安田義定
・若槻頼胤 従五位下
・多賀谷家重
・多賀谷政経
・成田正等
・成田顕泰
・成田親泰
・成田長泰
・土田政久
・松平忠明<慶長5年(1600年)~ >従五位下
・本多俊次 従五位下
・市橋長政 従五位下
・松平忠弘<正保2年(1645年)~ > 従五位下
・堀田正仲 従四位下
・松平忠雅 従四位下
・庄田安利<元禄7年(1694年)12月18日~ >従五位下
・間部詮言 従五位下
・市橋政信 従五位下
・市橋信直 従五位下
・田村誠顕 従五位下
・畠山義紀 従四位上
・田村村隆 従五位下
・間部詮茂 従五位下
・市橋直挙 従五位下
・大沢基季 従四位下
・市橋長昭 従五位下
・保科正徳<文化7年(1810年)6月~ >従五位下
・間部詮勝<文政元年(1818年)12月~ >従五位下
・松平忠国 従四位下
・市橋長和 正四位
・間部詮道 正五位

★下総介

・忌部広万呂

★郡司(評)

★守護

鎌倉幕府

・1180年~1189年 - 千葉常胤
・1209年~? - 千葉成胤
・1250年~? - 千葉頼胤
・1321年~1333年 - 千葉貞胤

室町幕府

・1336年~1351年 - 千葉貞胤
・1353年~1365年 - 千葉氏胤
・1365年~1417年 - 千葉満胤
・1417年~1430年 - 千葉兼胤
・1430年~1441年 - 千葉胤直
・1441年~1454年 - 千葉胤将

●脚注

1. 須田茂著、『房総諸藩録』、崙書房出版、1985年3月10日

●関連項目

・令制国一覧

          令制国の一覧

五畿七道 畿内  山城 – 大和 – (芳野) – 河内 – 和泉 – 摂津

東海道 伊賀 – 伊勢 – 志摩 – 尾張 – 三河 – 遠江 – 駿河 – 伊豆 – 甲斐 – 相模 – 武蔵 – 安房 – 上総 – 下総 – 常陸

東山道 近江 – 美濃 – 飛騨 – 信濃 – (諏方) – 上野 – 下野 – 出羽(羽前 ·羽後) – (石背) – (石城) – 陸奥(岩代 ·磐城 ·陸前 ·陸中 ·陸奥)

北陸道 若狭 – 越前 – 加賀 – 能登 – 越中 – 越後 – 佐渡

山陰道 丹波 – 丹後 – 但馬 – 因幡 – 伯耆 – 出雲 – 石見 – 隠岐

山陽道 播磨 – 美作 – 備前 – 備中 – 備後 – 安芸 – 周防 – 長門

南海道 紀伊 – 淡路 – 阿波 – 讃岐 – 伊予 – 土佐

西海道 筑前 – 筑後 – 豊前 – 豊後 – 肥前 – 肥後 – 日向 – 大隅 – (多禰) – 薩摩 – 壱岐 – 対馬 – (琉球)


北海道 渡島 – 後志 – 胆振 – 石狩 – 天塩 – 北見 – 日高 – 十勝 – 釧路 – 根室 – 千島

・総州

          房総三国(総国)の郡

下総国 葛飾郡(近世に分割され、後の東葛飾郡・中葛飾郡・西葛飾郡が残る)|相馬郡(南相馬郡・北相馬郡)|千葉郡|印旛郡|香取郡
|下埴生郡(埴生郡)|海上郡|匝瑳郡|結城郡|猿島郡|豊田郡|岡田郡

上総国 市原郡|海上郡 (上総国)|畔蒜郡|望陀郡|周淮郡|上埴生郡(埴生郡)|長柄郡|山辺郡|武射郡|天羽郡|夷灊郡(夷隅郡)

 安房国 平群郡(平郡)|安房郡|朝夷郡(朝平郡)|長狭郡

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