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春を分ける日の慎ましいお祭りの日??パート4

それでは、続いてですが、この「春分の日」は、そもそも、「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい) 」と呼ばれていました。
そもそも、春分の日は、「皇族の宮中行事」だったそうです。それでは、もともとの意味である、春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい) について、お話したいと思います。

★春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい) について

3月春分の日に、天皇自ら宮中三殿の一つである皇霊殿(こうれいでん)で、歴代天皇はじめ皇后・皇族すべての皇祖の神霊を祀(まつ)る皇室の大祭である。9月秋分の日にも秋季皇霊祭が同様に行われ、第二次世界大戦前は国の祭日であったが、戦後は春分の日、秋分の日として国民の祝日となっている。もと皇室での先祖の祭儀は、古く古典(記紀など)に皇祖の御霊(みたま)を祀った例がみられるが、平安中期以降は京都御所清涼殿(せいりょうでん)内の御黒戸(おくろど)の間(ま)で仏式で行われ、明治以降神仏分離によって神式による祭典となった。当初は神祇官(じんぎかん)にて崩御日にあたる御正辰祭(ごしょうしんさい)が行われたが、1878年(明治11)から天皇の親祭による春秋二季の皇霊祭となり今日に至る。また、当日皇霊殿前庭で「東遊(あずまあそび)」の儀があります。

参考までに、宮中三殿(きゅうちゅうさんでん) について書いておきます。

★宮中三殿(きゅうちゅうさんでん) について

宮中の賢所(かしこどころ)、皇霊(こうれい)殿、神殿の総称。宮中三神殿ともいい、皇居の吹上御苑(ふきあげぎょえん)南部にある。1889年(明治22)に造営された。中央に賢所があり、東に神殿、西に皇霊殿と並び、渡り廊下で結ばれる。賢所には天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ)とする神鏡が祀(まつ)られ、皇霊殿には神武(じんむ)天皇以来の天皇・皇族の霊が祀られている。神殿はもと八神殿といい、神祇(じんぎ)官にあって、皇霊産霊神(かみむすびのかみ)など8柱の神々を祀っていたが、1869年東京遷都ののち皇居内に移すとともに、八百万(やおよろず)神をあわせて祀り、神殿とよぶようになった。

参考までに、申し上げました。

皆さん、いかがでしたでしょうか・・。いろいろと申し上げましたが。参考になりましたでしょうか??
春分の日は、国民の祝日であると同時に、以前は、「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい) 」という皇族の宮中の行事でした。
ちょっと難しかったですね・・。皆さんは、こういうことは気にせず、今日、「春分の日」は、祝日なのですから。
折角のお休み、有意義に過ごしたいものですよね・・。

今日は、「春分の日」。皆さんは、いかがお過ごしになられますか??

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春を分ける日の慎ましいお祭りの日??パート3

続いてですが、「春分の日」「秋分の日」について、もう少しくわしい資料がございますので、これも参考までに、記しておきます。

何らかの国民の行事を記念しての「国民の祝日」は,一般には特定の日になるのが普通だが,春分の日・秋分の日は春分日・秋分日とあるだけで日が特定されていない。では,春(秋)分日とはどのように決められているかというと,天文学的な春(秋)分 - 視太陽が天の赤道をよぎる瞬間,つまり,視黄経が0度(180度)になる春(秋)分点を通る瞬間 - を含む日とされている。日のキレ目は中央標準時によります。

ところで,1太陽年 - 太陽が春分点を通過してから次にもう一度春分点を通るまでの期間 - は,平均で365日+5時間49分ほどである.365日(1平年)を経てさらに6時間弱,時間がたたなければ春分点通過にはならない.このようなことが4回(4年)繰り返されると,約6時間×4=24時間(1日)のずれが生じるが,2月末に閏日を1日入れることで調整される.しかし,これでは1年で.11分ほど余分に補整していることになるので,さらに400年に3閏日を抜いて再調整した置閏法による暦が私たちの使っているグレゴリオ暦である.では,この暦で春分日が特定されるかといえばそうはならない。

1太陽年:1日=約365.2422:1 のようにこの値が簡単な整数にならない時は,春分点をよぎる瞬間の時刻は,永年の間に1日のなかの特定の時間帯にかたよることなく,1日24時間のなかにほぼまんべんなく散らばることがわかっている.とすれば,例えば,3年続く平年の第1年目の春分点通過時刻が3月20日14時(中央標準時)とすると,年初から3月19日までの通日は78日だから

第1年目 春分点通過時刻  78日+14時          春分の日 3月20日
第2年目          78日+14時+365日+5時間49分
            ≡ 78日+19時49分             3月20日
第3年目          78日+19時49分+365日5時間49分
            ≡ 78日+25時38分
            ≡ 79日+1時38分             3月21日
となって,3年目の春分の日は1日ずれることになる.
第4年目          79日+1時38分+365日5時間49分
            ≡ 79日 7時27分             3月20日
4年目は2月29日に閏日が入って,日付けは1日引き戻されることになる。

これを次々と進めていけば日付けは変わるが,その変わり方にある種の弱い規則性といったものがみつけられると思います。

しかし,春分点は月の引力による章動・金星など他の惑星による地球軌道への摂動などによって時間にして10分ほど前後にゆれ動くことがある.このようなときに,春分点通過の時刻が日のキレ目(0時・中央標準時)のごく近傍にあれば,月・惑星の影響を精しく計算することなしに,通過の時刻が日のキレ目のどちらに落ち着くのか,つまりは,春分の日がどちらの日付になるのかを決めるのは困難である.そしてまた,同じような状況が再度起った時,同じような地球-月・惑星の位置関係が生じ,同じような時刻のずれが生じるとは考えにくい.このようにして,先の弱い規則性のようなものも徐々に破られていきます。

さらに細かいことをいえば,太陽系天体の運動理論によっている力学時系と地球自転に基づいた生活時系(中央標準時=協定世界時+9時)には差があり,その差は天体観測によって求められるが - 1997年ではその差は63秒 - ,この値によっても春分点通過の時刻が日のキレ目を越える可能性がない訳ではない.この他にも考慮する小さな量はあるが,これらの諸要素によって春分日(秋分日も同様)が不規則に移動する様子を理解していただけたと思います。

参考:暦象年表1997より

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春を分ける日の慎ましいお祭りの日??パート2

続いてですが、「春分の日」「秋分の日」はどうして決まるのかについてお話したいと思います。

春分の日・秋分の日はいつどのようにして決まるのでしょうか?

 祝日としての春分の日・秋分の日は、前年の2月1日に、春分の日・秋分の日の日付が書かれた「暦要項(れきようこう)」が官報に掲載されることによって、正式決定となります。例えば、2001年2月1日の官報には、2002年の春分の日・秋分の日が書かれた暦要項が掲載されています。逆に、それより前には、春分の日・秋分の日は「まだ正式には決まっていない」ということになります。(ただし、行政機関の休日には官報が発行されませんので、2月1日が該当する場合には翌日以降の掲載となります。)

 しかし、カレンダーを作っていらっしゃる方や、何年か分の行事予定を立てられている方などの中には、来年、あるいはさらに先の年の春分の日・秋分の日を知りたいと思っている方はたくさんいらっしゃるようです。実際、「正式決定でなくてもよいので、もっと先の春分の日・秋分の日を教えてほしい」というご要望をいただくことがよくあります。

 日本の祝日を定めている「国民の祝日に関する法律」によれば、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされています。「春分日」「秋分日」というのは天文学上の呼び名で、次のように定義されています。

 太陽は星々の間を移動していて、その通り道を「黄道」といいます。また、地球の赤道を天にまで延長したものを「天の赤道」といいます。黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その交点のうちの一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことを、それぞれ「春分日」「秋分日」と呼ぶのです。

 地球の運行状態などが現在と変わらないと仮定すると、将来の春分日・秋分日を計算で予想することができます。計算結果を下に載せておきます。ただし、地球の運行状態は常に変化しているために、将来観測した結果が必ずしもこの計算結果のとおりになるとは限りませんので、あくまで参考としてご覧になってください。

表1 西暦2000~2030 年の春分日・秋分日  西暦年 春分日 秋分日
2000年 3月20日(月)  9月23日(土) 
2001年 3月20日(火)  9月23日(日) 
2002年 3月21日(木)  9月23日(月) 
2003年 3月21日(金)  9月23日(火) 
2004年 3月20日(土)  9月23日(木) 
2005年 3月20日(日)  9月23日(金) 
2006年 3月21日(火)  9月23日(土) 
2007年 3月21日(水)  9月23日(日) 
2008年 3月20日(木)  9月23日(火) 
2009年 3月20日(金)  9月23日(水) 
2010年 3月21日(日)  9月23日(木) 
2011年 3月21日(月)  9月23日(金) 
2012年 3月20日(火)  9月22日(土) 
2013年 3月20日(水)  9月23日(月) 
2014年 3月21日(金)  9月23日(火) 
2015年 3月21日(土)  9月23日(水) 
2016年 3月20日(日)  9月22日(木) 
2017年 3月20日(月)  9月23日(土) 
2018年 3月21日(水)  9月23日(日) 
2019年 3月21日(木)  9月23日(月) 
2020年 3月20日(金)  9月22日(火) 
2021年 3月20日(土)  9月23日(木) 
2022年 3月21日(月)  9月23日(金) 
2023年 3月21日(火)  9月23日(土) 
2024年 3月20日(水)  9月22日(日) 
2025年 3月20日(木)  9月23日(火) 
2026年 3月20日(金)  9月23日(水) 
2027年 3月21日(日)  9月23日(木) 
2028年 3月20日(月)  9月22日(金) 
2029年 3月20日(火)  9月23日(日) 
2030年 3月20日(水)  9月23日(月) 

参考までに、申し上げました。

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春を分ける日の慎ましいお祭りの日??パート1

皆さん、こんにちわ~。更新です。皆さん、今日は、3月の20日、そう、今日は、「春分の日」、祝日です。
皆さんの中にも、お休みのかたもいらしゃるのではないでしょうか。
でも、今日の春分の日は、「祝日」ですが、元々は、どういういつさつがあるのでしょうか。
そこで、今日は、この「春分の日」について書きたいと思います。

★春分の日について

春分の日(しゅんぶんのひ)は日本の国民の祝日の一つ。1948年公布・施行の国民の祝日に関する法律(祝日法)によって制定された。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。1947年までは、春季皇霊祭という祭日だった。

しばしば、「昼と夜の長さが同じになる。」といわれるが、実際は昼の方が長い。詳細は春分を参照のこと。

仏教各派ではこの日「春季彼岸会」が行われ、宗派問わず墓参りをする人も多い。

春分の日は、3月20日から3月21日ごろ。祝日法の上では「春分日」としている。国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、前年2月第1平日付の官報で発表される。よって、2年後以降の春分の日の日付は確定していないことになるが、これまでに、天文計算によって求められた春分の日付以外の日が春分の日とされたことはない。なお、天文計算上2025年までは閏年とその翌年が3月20日になり、その他の年は3月21日となる。

★近年の春分の日について

・2008年 3月20日
・2009年 3月20日
・2010年 3月21日
・2011年 3月21日
・2012年 3月20日
・2013年 3月20日
・2014年 3月21日
・2015年 3月21日
・2016年 3月20日
・2017年 3月20日

★1900年~2099年までの春分の日の数学的な簡易な求め方について

西暦年数の4での剰余が0の場合
  1900年~1956年までは3月21日
  1960年~2088年までは3月20日
  2092年~2096年までは3月19日
西暦年数の4での剰余が1の場合
  1901年~1989年までは3月21日
  1993年~2097年までは3月20日
西暦年数の4での剰余が2の場合
  1902年~2022年までは3月21日
  2026年~2098年までは3月20日
西暦年数の4での剰余が3の場合
  1903年~1923年までは3月22日
  1927年~2055年までは3月21日
  2059年~2099年までは3月20日

だそうです。参考までに申し上げました。

それでは、「春分の日」の「春分」について参考までに記しておきますネ。

★春分について

春分(しゅんぶん)は、二十四節気の1つ。3月21日ごろ。および、この日から清明までの期間。二月中。

天文学では、太陽が春分点を通過した瞬間、すなわち太陽の視黄経が0度となった瞬間を春分と定義する。

『暦便覧』に「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されている通り、春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。日本付近では、年による差もあるが、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。これは、次の理由による。

大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため
詳細は大気差を参照

太陽が上に見える角度の分、日出が早く、日没が遅くなる。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなる。国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の、その角度を35分8秒と見積もっている。ここから計算される日出・日没の時間の差は約2分20秒である。
太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出あるいは日没と定義しているため
これにより、太陽の半径の分、日出が早く、日没が遅くなる。ここから計算される日出・日没の時間の差は約1分5秒である。
これらを合わせると、日出は、太陽の中心が地平線から上がるより3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより3分25秒遅くなる。したがって、春分の日の昼の長さは約12時間7分、夜の長さは約11時間53分である。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は春分の4日程度前になる。

春分を含む日には、太陽は真東から上って真西に沈む。赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。北極点または南極点の観測者から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、上ることも沈むこともない。

日本においては、春分の日は国民の祝日となる。春分の日は、国立天文台の算出する天文学的春分日を元にして閣議決定され、前年2月に官報で告示される。天文学に基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的にみても珍しい。またこの日をはさんで前後7日間が春の彼岸である。第二次大戦前は春季皇霊祭として祭日であった。

ヨーロッパなどでは、春分をもって春の開始とする。いくつかの国では休日とされる。

キリスト教で復活祭の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。この算出方法をコンプトゥスという。ただし、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、天文学上の春分を含む日とは必ずしも一致しない。「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しない。この算定法は第1ニカイア公会議で定められました。

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日本から発祥だといわれています。。。パート5

それでは、続いてですが、「ホワイトデー」について最後の記事となりました。最後は、ホワイトデーを調べていて、また、面白い記事を見つけましたので、参考までにお話ししますネ。それは、「ホワイトデー(マシュマロデー)の発案」についてです。

では、早速ですが、ご紹介いたします。。。

★ホワイトデー(マシュマロデー)の発案について

昭和52年、3代目社長・石村善悟氏が、何気なく女性雑誌の投稿欄を見ていたら、

「バレンタインデーで女性ばかりが送るだけはおかしい」という投稿を目にして、これだと思い、福岡のデパート岩田屋さんで、お返しの日を作ったのが始まりでした。

このお返しの日を一週間後にするか、逆さにして4月12日にするか迷っていたところ、岩田屋さんより、「一ヵ月後の3月14日頃なら何もイベントがなくていいよ」と言われて決まったそうです。

このアイデアがやがてホワイトデーとなり、今では日本中の誰もが知っている記念日となったそうです。

いかがでしたでしょうか?「ホワイトデー」は、「バレンタインデー」と違って、我が国日本の習慣だということが、それにいろいろと調べてわかったことが沢山ありました。

それと、「ホワイトデーは」、「バレンタインデー」ともう一つ違うところがあります。それは、賢明な皆さんなら、ご存知でしょう・・そう、ホワイトデーはバレンタインデーと違って、「祝日」だったわけではありません。バレンタインデーの場合、正式な「祝日」でした。しかし、ホワイトデーは逆に、日本で発案・企画されたものです。面白いと思いませんか??それが、諸外国にも、影響しているというのですから、面白いと思うのですが・・・。

皆さんはいかがでしょうか??いずれに致しましても、今回、「ホワイトデー」に関して、これだけいきさつがあるのですから、皆さんそれぞれ調べていくともっと面白いことがわかるかも?知れませんネ。

今日、3月14日は、「ホワイトデー」・・皆さんは、今日は、どんなホワイトデーをお過ごしになられますか?

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日本から発祥だといわれています。。。パート4

それでは、続きましてですが、ホワイトデーについて調べていくと面白いことがわかりましたので、参考までにお話ししておきますネ。

★3月14日について

3月14日はホワイトデーです。

2月14日のバレンタインデーにチョコレートをもらった男の子はこの日お返しにホワイトチョコレートやマシュマロなど白いものを送ります。が実際にはバレンタインデーが必ずしもチョコレートに限らないように贈り物は何でもいいようです。

ホワイトデーを仕掛けたのは博多の老舗のお菓子屋さん、石村萬盛堂です。

昭和52年に何気なく女性雑誌を見ていたら「バレンタインデーにお返しが無いのはおかしい」という投稿があり、そばにマシュマロの絵が添えてありました。マシュマロならうちの商品ではないか!ということで、お返しはちょうど1ヶ月後が良いだろうと、その年の3月14日に福岡の岩田屋デパートでマシュマロデーのキャンペーンを行いました。

これにチョコレート業界がホワイトチョコレートで乗っかって全国的に普及したようです。

とここまでは、さきほども記事でも何度か書いてあるのですが、わたしが面白いと思ったのは、次のこのお話しなのですが・・。

石村萬盛堂は最初博多名物の「鶏卵素麺」を作っていましたが、鶏卵素麺というのは卵の黄身だけを使います。白身が余ってしまうので何か使い道が無いかということでマシュマロを思いつき「鶴の子」を作るようになりました。

この鶴の子は昭和初期には同じく博多銘菓の「ひよこ」と並べられ博多の鳥戦争と言われたこともあります。創業者の石村善太郎氏は福岡藩代々の宮大工の家に生まれたのですが、大工になるのが嫌で自分はむしろ同じ神様に奉仕するにしても神様にお供えするお菓子を作りたい、とお菓子屋さんを始めたのだそうです。

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日本から発祥だといわれています。。。パート3

それでは、続いてお話しですが、今回の「ホワイトデー」の贈り物に以前は、欠かせないと言われていました、「マシュマロ」について、お話ししていきたいと思います。

★マシュマロのお話し

マシュマロの歴史は古代エジプトにまで遡ります。マシュマロと呼ばれる、ウスベニタチアオイ(Marsh mallow【Altheaoffcinalis】アオイ科の多年草)の根の粘液を煮て、つくったなめらかなムース状のペーストから、濃いはちみつ風味のキャンデーが作られ、本来は「薬用」として食されていたそうです。当時は一般市民のためのためのものではなく、神々と王族のための食べ物でした。

マシュマロはそのときは、ふんわりとしていなかったそうです。マシュマロ(ウスベニタチアオイ)は大水域近くの塩性湿地で育ち、その樹の樹液は、濃縮材料と香料の役を務めたそうです。

19世紀半からなかばにかけて、近代的なマシュマロは、フランスとドイツで発展していきます。当時の菓子職人が型に流し込み、軽くてふんわりした現在のような、ひとくちサイズのマシュマロになったそうです。19世紀後半以降、ゼラチンや卵白がマシュマロの樹液にとって代わり、香料、砂糖を加えて攪拌したものをコーンスターチ等の型で作る洋菓子となりました。現在は原産のヨーロッパよりアメリカにおいてよく食されるそうです。ただ、日本ではそのまま食することが多いのに対して、串に刺して焼いて食することが多いそうです。

それでは、次は、マシュマロの名前の由来や、その他についてです。

マシュマロ、マシマロ(Marshmallow)は、菓子の名前。ソフトキャンディーの一種。

★名前の由来ついて

名称は、原料となったアオイ科のウスベニタチアオイの英語名で、Marsh mallowにちなみます。元はこの植物の根をすりつぶして使っていたそうです。現代の製法ではこの植物は使われないそうです。 フランス語でも、植物名「Marshmallow」のフランス語名「Guimauve(ギモーヴ)」がそのまま菓子名になっています。

★製法について

現在は、砂糖、卵白、ゼラチン、水、空気を原料とします。空気が多く含まれるため、軽く、食感も軽い。

★種類について

白いマシュマロ以外に、チョコレート、イチゴ香料、バナナ香料や着色料を加えた色つきのマシュマロもあります。また、中心部にジャムなどを詰めた商品もあります。

★食べ方について

日本では、加熱せずにそのまま食べるのが一般的ですが、欧米ではマシュマロを串に刺すなどで直火で焼いてとろけさせ、そのまま熱いうちに食べることが多い。 アメリカなどでは、熱いココアなどに浮かべて半分溶けた状態のものを飲むことも行われています。

★その他

・以前、3月14日はマシュマロデーと呼ばれていた。これは、福岡の菓子店・石村萬盛堂が、「バレンタインデーのお返しにマシュマロを」、というキャンペーンを行ったことに因むもので、これがホワイトデーの起源であるとする説もあるそうです。現在でも石村萬盛堂は毎年ホワイトデー近くなると「ホワイトデーはマシュマロデー」というキャッチコピーでキャンペーンを行っています。
・漫画『ピーナッツ』の中でスヌーピーや彼の兄・スパイクがマシュマロを焼くシーンは有名です。
マシュマロは“食べる化粧品”
白くてふわふわなマシュマロ。
実は、美肌に効く“食べる化粧品”として女性から人気を集めています。なぜマシュマロが美肌に効果があるのか・・・秘密はマシュマロの原料であるゼラチンにあります。
このゼラチン、コラーゲンを約90%も含んでいるのです。
コラーゲンは皮膚の真皮という部分に多く含まれ、コラーゲンを外から塗るのではなく、食べ物として体内に取り入れることでコラーゲンの新陳代謝が活発になり、古い細胞から新しい細胞へと入れ替わり、肌を若返らせることが出来るといわれています。

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日本から発祥だといわれています。。。パート2

それでは、続いてですが、今回のお話しは「ホワイトデー」ということもありまして、調べていくうちに、いろいろなことがわかりましたので、参考までに順にご紹介していきたいと思います。

★3月14日は、バレンタインデーのアンサーデー?

バレンタインデーでチョコレートの贈物を受けた男性が“お返し”の意を込め、 3月14日のホワイトデーはキャンデーを贈る日として飴菓子業界の全国組織である全国飴菓子工業協同組合の1978年(昭和53年)の名古屋に於ける総会で飴菓子業界の総意として決議採択されて全飴協ホワイトデー委員会が組織されたのです。そして2年間の準備期間を経て1980年(昭和55年)3月14日に第一回ホワイトデーが世に生まれ出たのです。

日本でバレンタインデーの催事が定着するにつれて若い世代の間で“お返し”の風潮が生まれ、これを受けた菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定め、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを“お返しの贈物”として宣伝販売する動きが出るようになりました。この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ「ホワイトデー」として催事化したのが全飴協・関東地区部会でした。

バレンタインデーのアンサーデーを、全飴協がホワイトデーとして定める以前は、欧米の習慣にならい「ポピーデー」「フラワーデー」「ホワイトデー」「クッキーデー」など、いろいろなネーミングがありました。これを関東部会では「ホワイトは純潔のシンボル。ティーンのさわやかな愛にぴったり」との考え方のもとに、「ホワイトデー」と名づけたのでした。

また、ホワイトデーを3月14日に定めたのは、3世紀のローマで恋愛結婚の禁止令に触れた若い男女がバレンタイン神父に救われ、神父が殉教(2月14日)した1カ月後のこの日に、男女は永遠の愛を誓い合ったことに由来しています。別には、日本の古典(古事記、日本書紀)から、わが国の飴製造の起源を拾ったという説もあります。

★ホワイトデーの元祖、石村萬盛堂
ホワイトデーは、昭和52年福岡の和菓子の老舗“石村萬盛堂”が発案した記念日なのだそうです。
当初は白いマシュマロを贈る日だったそうで、「マシュマロデー」と呼ばれていました。三代目社長が何気なく女性雑誌をパラパラめくっていると、「バレンタインデーのお返しの日がないのはなぜ?」という読者の疑問に出合ったそうです。
バレンタインデーのお返しに欲しい物の上位に“マシュマロ”があり、この投稿をヒントに石村萬盛堂の銘菓“鶴の子”がマシュマロで出来ているのでマシュマロの中にチョコレートを入れて、「バレンタインデーのお返しにマシュマロを贈りましょう」と“マシュマロデー”を発案したそうです。
実はマシュマロでチョコレートを包むというのはロマンチックな意味があるそうです。白いふわふわなマシュマロを男性の純白な想いに、中のチョコレートは女性の想いに見立てて、「僕の純白な心で君の想いをやさしく包んで“ありがとう”の想いを込めてお返しするよ」という意味が込められているだそうです。

このアイデアがやがて「ホワイトデー」と名前を変え、今ではすっかり日本人のライフスタイルに定着しました。
現在のホワイトデーという名前は、「マシュマロの白色」から由来しているそうです。

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日本から発祥だといわれています。。。パート1

皆さん、こんにちわ~。更新です。皆さん、早いもので、もう3月も14日ですネ。時間の過ぎるのは、早いもので、あれから、もう、1ヶ月経ちました・・。何から1ヶ月かと申しますと、あの「バレンタイン・デー」からです。そう今日、3月14日は、「ホワイト・デー」ですネ♪今日この日は、先月、バレンタインデーで、女性からプレゼントを戴いたお礼に、「お返し」をしようとすると言った日なのだそうです。でも、この「ホワイト・デー」は先月の「バレンタイン・デー」と違って、我が国、日本が始めた習慣なのだそうです。

そこで、今回は、この「ホワイト・デー」についてお話しをしていきたいと思います。

★ホワイトデーについて

ホワイトデーとは、バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、そのお返しとしてキャンデー・マシュマロ・ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日。日付は3月14日。日本で始まった習慣で、欧米ではみられない。

★歴史について

日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けた菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、ビスケットやマシュマロ、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。

この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化した。1978年、全飴協の全国総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年に第1回の全国規模のホワイトデーが開催された。飴の材料である砂糖が白色だったため「白=ホワイト」から「ホワイトデー」と命名された。それとは別に1977年、『鶴乃子』で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が、この日にバレンタインチョコのお返しとして、白いマシュマロを売り出し、全飴協よりも先に考案したとする説もある。

全飴協は、ホワイトデーを3月14日に定めた理由は、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1か月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来する、としているが、もちろんこの説に史実性は無い。

最近では、デパートなどが食品以外の贈り物なども販売促進しており、菓子業界では、駅やデパートでの手焼きクッキーなどの販売も売り上げを伸ばしている。

★新たな日本での活動について

お返しは3倍返し??

バレンタインデーのお返しは、3倍にして返すのが礼儀」とする言及が女性誌などでなされ、安物のチョコレートをバレンタインデーに配り、ホワイトデーに「高価なお返し」を期待するという現象が一時期認められた。しかし現在では、ホワイトデーに一切の返礼をしない男性も現れており、そのことからバレンタインデーへの反感が女性の間で高まったり、バレンタインデーの習慣を「欧米なみに男女双方から贈ることに変えよう」とする動きも出ている。その一方で、「バレンタインデーには男性が贈り、ホワイトデーは女性に気持ちを受け取ってもらえたお礼に、男性がまた贈る習慣にすべき」とのご都合主義的な意見もある。
恋人同士のバレンタインデー・ホワイトデーには、チョコ・飴などだけではなく、アクセサリー等も一緒にプレゼントする事も多い。2009年のアンケートによると、第3位にアクセサリー、第4位ペア時計がランクインしており、予算の多くが菓子以外に使われていることが伺われる。

シャンパン業界の展開について

九州を中心としたバーテンダー、ソムリエや飲食業界、酒類取り扱い業の間で「シュワシュワのお返し」と題してホワイトデーにはシャンパン(シャンパーニュ)を贈ろうという活動が展開されている。男性が女性に対してお菓子を贈るよりも飲食に誘うほうが自然な流れで普及しやすいのではないか、ということから始まった活動で、主に九州のバーテンダーが中心となって活動しているとされる。

★海外のホワイトデー について

韓国と台湾でも日本の影響でホワイトデーが行われる。台湾での贈り物は様々である。韓国では更に4月以降も、各月14日にブラックデー、イエローデー、ローズデー等といった恋愛に関する行事が近年行われるようになった。

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邪気退散~~~♪パート2

皆さん、今日は、三月三日、「ひな祭り」とうことで、書いておりますが、この「ひな祭り」には、この時期、桃が咲き始める時期でもあるそうです。ひな祭りは、「桃の節供」ともいわれていますネ。

このひな祭りに時期に咲き始める桃にはどんな意味があるのでしょうか??そこで、続いては、ひな祭りに欠かせない、「桃」、「桃の節供」について書きたいと思います・・。

●上巳の節句 ~季節の節目の邪気祓いについて

雛まつりのルーツは上巳の節句です。上巳(じょうし/じょうみ)とは3月上旬の巳の日という意味で、のちに日付が変動しないよう3月3日となりました。その起源は300年頃の古代中国で起こった上巳節にさかのぼります。

昔から季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す曲水の宴などが行われていました。つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事だったんですね。その上巳節を遣唐使が日本に伝えたといわれています。

日本でも古くから禊(みそぎ)や祓いの思想や、形代(かたしろ)という身代わり信仰があったため、それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきます。そのひとつが流し雛で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた人形(ひとがた)で撫でて穢れを移し、それを川に流す神事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域があります。また、曲水の宴も風雅な文化として発展していきました。

●雛遊びが始まる ~雛人形の誕生について

平安時代ごろから、宮中や貴族の子女の間で、紙の人形を使ったままごと遊びが盛んになり、雛遊び(ひなあそび/ひいなあそび)といわれるようになります。「雛」とは、大きなものを小さくする、小さなかわいいものという意味です。

この遊びが上巳の節句と結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生します。これがいわゆる雛人形の原型ですね。やがて人形作りの技術が発展し立派な雛人形ができてくると、雛人形は流すもの(流し雛)から飾るものへと変化していきました

●桃の節句 ~女の子ための雛祭りへ

やがて江戸幕府が五節句を制定し3月3日を「桃の節句」と定めると、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句として定着していきます。

すると、娘の厄を受ける雛人形はその家の財力の象徴として華やかさを増してゆき、豪華な雛人形を雛壇に飾るようになります。自慢の雛人形を見せ合う雛合わせや、ご馳走を持って親戚を訪ねる雛の使いが流行し、美しい雛人形を持って雛祭りをすることが民衆の憧れとなりました。ついには等身大の雛人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどです。

やがて、町民が豊かになると雛祭りは町をあげての楽しい行事となり、我が子の幸せを願う行事として親しまれるようになりました。

では、なぜ「桃の節句」というのでしょう?実は、「桃の時期だから」というだけではありません・・・。

●なぜ桃の節句というのか? ~桃太郎との関係について

旧暦の3月3日は桃の季節でもありますが、それだけで「桃の節句」になったわけではありません。昔から桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。

また、桃は不老長寿を与える植物とされており、百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の節句には桃花酒を飲む風習もありました

※【豆知識】
昔から邪気の象徴は鬼とされており(だから節分には鬼を祓います)、邪気を祓う力のある桃には鬼を退治する力もあると考えられてきました(節分に桃を使って邪気祓いをする神事も多数みられます)。この思想がベースとなり、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生しました。

こうしてみると、3月3日は女の子のみならず人々の幸せを願う節目の日であることがわかります。春という季節を寿(ことほ)ぎながら、健康で幸せな日々が末長く続くことを願う日として、この時季ならではの風情をお楽しみください。桃・雛人形・菱餅・ひなあられ・白酒・はまぐりなど、楽しめることはたくさんありますネ♪

●雛祭りを彩る色について

赤(桃色)・白・緑をみかけると、雛祭りだなぁ~と感じますね。この3色が雛祭りカラーに定着したのは、菱餅の影響が大きいでしょう。雛飾りになくてはならないものですし、ひなあられも菱餅がなければ誕生しませんでした。 

●菱餅のルーツは蓬餅(よもぎもち)について

そもそも、雛祭りになぜ菱餅なのでしょう?

日本の年中行事の多くは中国の影響が強いのですが、雛祭りも菱餅もそのルーツは中国にあります。古代中国で上巳節(3月最初の巳の日に厄払いをする行事)に母子草(ハハコグサ)を入れたお餅を食べる風習がありました。母子草とは春の七草のひとつ御形(ゴギョウ)のことです。

それが日本に伝わりますが、母子草を使うと、母と子をついて餅にすると嫌われたこともあり、蓬(ヨモギ)を用いるようになります。皆さんご存知のように、蓬は大変香りの良いもの。昔から香りの強いものには邪気を払う力があるとされています。ひな祭りに蓬餅(草餅)を食べる地方が多いのはその名残りでしょう。

また、上巳節が3月3日に制定され、上流階級で人気だった「ひな遊び」(または「ひいな遊び」。小さな人形などで遊ぶおままごと)と結びつき、ひな祭りへと発展していきます。

●はじめは2色の菱餅だったそうです・・・。

これが菱形の菱餅になるのは、江戸初期のこと。当時は、蓬餅の緑に菱の実を入れた白い餅を組み合わせたもの、つまり緑と白の2色だけ!これを緑・白・緑の3段、あるいは5段にしていたようです。菱の実には、子孫繁栄と長寿の力があるとされており、菱餅といえば菱の実の粉で作るものだったそうです。

菱の実を模して菱型になったという説がありますが、心臓の形説など菱型に関しては諸説あります。

菱餅が2色だったとは・・・。

●ひなまつりカラーの意味について

色だった菱餅ですが、明治時代に入ると、ここに山梔子(さんしし。クチナシの実のこと)を入れた赤が入って3色となります。赤は昔から魔除けの色として欠かせない色ですし、おめでたい色、桃の花にも通じます。

●色の意味にも諸説ありますが、まとめると次のようになるそうです・・・。

●赤……山梔子(クチナシの実)入り/魔除け/解毒作用/桃の花をイメージ
●白……菱の実入り/子孫繁栄、長寿/血圧低下/清浄、純白の雪をイメージ
●緑……蓬入り/厄除け/増血作用/健康、新緑をイメージ

また、この3色を重ねる順番により、次のような春の情景をあらわしています。
・下から緑・白・赤の順番で、“雪の下には新芽(蓬)が芽吹き、桃の花が咲いている”
・下から白・緑・赤の順番で、“雪の中から新芽(蓬)が芽吹き、桃の花が咲いている”

このまさに春らしい3色が、菱餅ばかりか雛祭りを彩る色として定着していきました。また、華やかさを求めて黄色などが入る場合もあり、5段7段と豪華な菱餅も多くみられるそうです・・・。

●雛人形と婚期って関係があるの?について

「お雛さまを早く片付けないと嫁に行き遅れますよ」
雛祭りによく耳にするセリフですが、この何気ない母のセリフに、幼い女心は動揺します。そんなの迷信だとわかっていても、年頃になれば嫌味に聞こえ……。

では、なぜこんなことを言うのでしょう??その理由について書いております・・。

●お雛さまを早く片付けないと嫁に行き遅れますよ」の理由について

【理由その1:厄払い説】
雛祭りは、古代中国の厄払い行事である上巳の節句、人形(ひとがた)に穢れをうつして流す風習、小さな人形をつかったひな遊びなどが混ざって成立したものです。現在でも流し雛をする地域もありますが(もちろん、あの豪華なひな人形ではなく、藁や紙でできた雛人形です)、雛人形にその子の厄や災いを移すという考えから、いつまでも身近におかず、早く片付けて災いを遠ざけたほうが良いと考えられたのです。

【理由その2:しつけ説】
雛人形はいつまでも眺めていたいものですし、いざ片付けるとなると面倒でしょう。しかし、片付けも満足にできないようではきちんとした女性になれず、いいお嫁さんにもなれません。そこで、「お雛さまを早くしまわないと嫁に行き遅れますよ」と言ってしつけました。

【理由その3:結婚象徴説】
早く飾り出すと「早く嫁に出す」、早くしまうほど「早く片付く(嫁に行く)」。雛人形は婚礼の様子を表しているので、飾る時期を娘の結婚になぞらえています。

では、いつしまえばいいの?でしょうか。。参考までに書いておきます。

幾つかの説があるにせよ、娘の幸せを願う親ごころなんですね。このような意を汲んで片付けをするのなら、3日以降早めに片付けましょう。すぐにしまえない場合、お雛様を後ろ向きにして飾り「お帰りになった」「眠っていらっしゃる」と解釈する方法もあります。ただし、天気がよく乾燥した日にしまわないとカビの原因になりますから、雨の日などは避けましょう。

気にせずに飾っておいても構いませんが、季節の節目という意味では3月中旬ごろまでには片付けたいところ。また、旧暦で雛祭りを祝う地方や、旧暦3月3日まで飾っておく地方もあるそうです。

早くしまわせたいからって、婚期うんぬんを引き合いに出さなくてもいいじゃない…なんて思うかも・・。でも、そのセリフに隠された娘を思う気持ちを読み取れるようになったら、素敵なレディに成長したということかもしれませんネ・・・・。

と、まあ、こんなところです・・・

ひな祭り、桃の節供は、女の子にとっては嬉しいものです、いつの時代になっても。「女の子の健やかな成長を祈願する」いいことです。

でも、女の子に限らず、男の子、女の子関係無く、子供の成長は、いつまでも見守っていきたいものですネ・・。

今日は、「ひな祭り」・・。どんな「ひな祭り」をお過ごしになられますか??

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邪気退散~~~♪パート1

皆さん、こんにちわ~。更新です。いかがお過ごしでしょうか??

もう、早いもので、三月です。今日は、三月の三日、そう、今日は、「ひな祭り」ですね。一説には、「女の子の健やかな成長を祈願する」、といわれております。が、そもそも、この「ひな祭り」には、どんないきさつがあるのでしょう・・。

そこで、今日は、この「ひな祭り」について書きたいと思います。

●雛祭りについて

雛祭り(ひなまつり)は女の子のすこやかな成長を祈る年中行事。ひいなあそびともいう。

●概要

日本では和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年(1873年)1月1日の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうのが一般的である。しかし一部(主に東北など積雪・寒冷地)では引き続き旧暦3月3日に祝われる(新暦4月3日に祝う所もある)。旧暦では桃の花が咲く季節になるため桃の節句となった。

男雛と女雛を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しむ節句祭り。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化している。三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。

●歴史について

の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、その起源はいくつか存在している。日本での起源は、流し雛の風習から本来は祓い神事の人形であったと言われ、「雛祭を過ぎて飾っていると嫁に行き遅れる」という言葉もここからきている。平安時代に既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えられていた。その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」と呼ばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。

●雛人形のそれぞれ

雛人形は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。

・親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇、皇后をあらわす
・官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわす、内1人のみお歯黒、眉無し
(既婚者を意味するが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味であろう)
・五人囃子は能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、それぞれ「太鼓」「大皮」「小鼓」「笛」「謡」である
(能囃子の代わりに5人、又は7人の雅楽の楽人の場合もある)
・随身(ずいじん)の人形は随臣右大臣と左大臣と同時に衛士(えじ)でもある
・仕丁は従者をあらわし、通常3人1組である
※メーカーによっては、以下の追加がある

・三歌人(柿本人麻呂、小野小町、菅原道真)
・能の鶴亀

・稚児2名

●内裏雛の左右について

内裏雛は内裏の宮中の並び方を模している。中国の唐や日本では古来は「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。しかし明治の文明開化で日本も洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋式に倣い右に立った。それが以降から皇室の伝統になり、近代になってからは昭和天皇は何時も右に立ち香淳皇后が左に並んだ。

上記について補足すると、即位礼では天皇は正殿真中に立ち、皇后は向って右に立つ。左右どちらが上位であるか以前に真中が上位である。天皇が皇后の右に立つ理由は、少なくとも即位の礼においては西洋に倣ったわけではなく、真中・向って右に並ぶのであって、左・右に並んでいるわけではない。中国では西太后・皇帝・東太后と並ぶが、日本では西太后に当る地位がないので、言ってみれば、(空席)・天皇・皇后となるのである。つまり、関東雛の雛の位置は真中を考えずに、左右の現象だけで判断された結果と推察される。

それを真似て東京では、男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多くなった。永い歴史のある京都を含む畿内や西日本では、旧くからの伝統を重んじ、現代でも男雛を向かって右に置く家庭が多い。社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としどちらでも構わないとしている。

●雛人形の飾り方について

飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの三種の飾り方である。しかし、特に飾り方に決まりごとはない。

・御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む)
・御殿の内の一室を拝しての飾り方
・屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方
さらにはお囃子に使う楽器や、家財道具と牛車などの道具を一緒に飾ることもある。上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降、八段飾りはバブル期以降)の檀飾りが多かったが、最近では部屋の大きさに合わせたり雛人形を出し入れしやすいように段数を減らしたものが主流となっている。戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。

祭りの日が過ぎた後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという俗説は昭和初期に作られた迷信である。旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと人形にカビが生えるから、というのが理由だとされる。

この行事に食べられる食品に菱餅、雛あられ、鯛や蛤の料理(吸い物等)、ちらし寿司があり、地方によっては飲み物として白酒、生菓子の引千切がある。

●雛祭りが祝日でない理由について

江戸時代雛祭りは『五節句』のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、明治6年の新暦採用が『五節句(=雛祭り)』の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされる

●特色ある雛祭りについて

全国各地で、大量に集めた雛人形を飾って一般公開したり、特色ある飾りを飾ったり、少年少女、又は成人の男女が雛人形に扮したりする祭り等が、この期間中に開催される。

・3月上旬:くくり雛まつり- 岩手県奥州市水沢区
・3月上旬:石段ひなまつり - 群馬県渋川市伊香保温泉
・3月上旬:鴻巣びっくりひな祭り - 埼玉県鴻巣市
・3月3日:ひなまつり子供大会@妙圓寺 - 東京都渋谷区
・2月下旬:かつうらビッグひな祭り - 千葉県勝浦市
・7月下旬:人間ジャンボひな壇@岩槻祭り - さいたま市岩槻区
・4月3日:生きびな@水無神社 - 岐阜県高山市
・3月3日:ひいな祭り@市比売神社 - 京都市下京区
・3月3日:ひな流し@淡嶋神社 - 和歌山市
・月上旬~3月上旬:中馬のおひなさん - 愛知県豊田市
・2月下旬~3月中旬:鞆町並ひな祭 - 広島県福山市鞆の浦
・3月3日:流しびな - 鳥取市用瀬町
・3月上旬:ビッグひな祭り - 徳島県勝浦町
・3月中旬:おひな様水上パレード - 福岡県柳川市
・2月11日:おひな様始祭 - 福岡県柳川市
・2月9日~3月5日:城下町やつしろのお雛祭り - 熊本県八代市
・2月15日~3月31日:天領日田おひなまつり - 大分県日田市
・2月上旬~3月上旬:真壁のひなまつり  - 茨城県桜川市真壁町

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